専門領域
私は福岡市で出生し、中学高校以外は福岡で育ちました。私には弟がおり、出生時に額に大きな母斑(あざ)がありました。成長するにつれ、そのあざが彼のコンプレックスやストレスとなる可能性があり、それを摘除したいと思うようになりました。その思いが、私が医師を目指す動機付けとなりました。
中学、高校は、長崎の全寮制の学校に進学し、医学部合格を目指しました。親元を離れ、6年間勉学に励みましたが、慣れない土地での生活に馴染むことができず、現役での医学部進学には至りませんでした。高校卒業後は、福岡へ戻り浪人生活を送りました。家族の支援もあり、数年後に福岡大学医学部に合格することができました。
大学卒業後は、福岡大学病院で研修を行いました。研修中に消化器内科をローテーションし、己の目で診断する形態学、さらに診断した病変を治療まですることができる消化管内視鏡に魅了されました。研修医修了後、福岡大学医学部消化器内科に入局し、消化管内視鏡検査やX線造影検査(透視検査)などを行い、消化管形態学診断に情熱を注ぎ込みました。その後、松山赤十字病院胃腸センターで腫瘍から炎症性疾患まで多数の症例の診療に携わってきました。内視鏡診断する上で、病理組織の成り立ちが理解できれば、正確な診断を実践できるのではないかと考え、松山より帰福後は福岡大学病院病理部・病理診断科で研修を行いました。朝は6時から手術検体の切り出し、日中は臨床業務(外来・内視鏡検査)、夕方から顕微鏡検査での病理診断と、早朝から夜中まで診療する日々でした。多忙でしたが、素晴らしい恩師から様々なことを学ぶことができ、その喜びとともに、非常に充実した日々を過ごしました。病理研修を経験したことにより、内視鏡診断が他の医師よりも優位にできるようになってきたのではないかと自負しています。熊本の山鹿中央病院では、病理組織に基づいた消化管形態診断学をさらに深めて参りました。
山鹿で診療する中で、私の出自である福岡で、内視鏡医として何とか人の役に立ちたいと考えるようになりました。福岡でどのように役に立てるか模索していた中、福岡天神内視鏡クリニックと出会い、働く機会を与えていただきました。私がこれまで専念してきた内視鏡診断学および技術を活かし、福岡の人々のお役に立てる絶好の機会ではないかと思っております。
「全ては患者さんのために」
そのような気持ちで、これまで私は診療して参りました。患者さんを思いやる気持ちを忘れず、仕事に対し熱い気持ちで、さらにいかなる人にも真摯な態度で診療を行うよう心がけています。私は幸運にも、日本の消化管診断の最前線で診療されている先生方の傍で、これまで学ばせていただきました。大仰かもしれませんが、私がこれまで得た知識と技術を皆様に少しでも還元できればと思っています。消化管形態学と内視鏡検査の融合を中心に学んできた私が、皆様の健康そして質の高い生活のために少しでも貢献できれば幸いです。あふれる情熱と皆様の健康を預かる覚悟と親身に接する礼節を持って精進いたしますので、これからどうぞよろしくお願いいたします。