中島医師からみなさまへご挨拶
GREETING FROM THE DIRECTOR

当院は患者さんがイメージする内視鏡検査の敷居を下げ、安楽で質の高い内視鏡検査を提供することをその使命としています。
初めての内視鏡検査への不安や過去の苦しく辛い経験から内視鏡検査を躊躇し、胃がん・大腸がんの発見が遅れてしまうことを懸念しています。快適で苦痛の少ない検査を全力でサポートしますので、一歩踏み出してください。
来院いただいたあなたの勇気と時間を無駄にしないことをお約束します。

医師 中島 大輔

みなさま、はじめまして。この度、福岡天神内視鏡クリニックで勤務することになりました中島大輔(なかしま だいすけ)と申します。
長崎大学医学部を卒業後、長崎大学医学部付属病院、佐世保総合病院での2年間の研修を経て、福岡市内の総合病院にて胃・大腸内視鏡検査や食道、胃、大腸がんの内視鏡診断・治療、吐下血などの救急処置、進行がんの化学療法や緩和ケアなど幅広く経験させていただきました。

当院が位置する天神地区はオフィスワーカーが多く、日々の忙しさから自分の健康管理が後回しになっているケースも見受けられます。
また、家庭では子育て中の方や介護されている方なども自分の時間がとりづらく、症状がないのに内視鏡検査を受けるという発想は浮かびにくいかもしれません。

また、「症状がないから大丈夫」「まだ若いから、がんにはならない」などといった誤解や過信もまだまだ根強くあるように感じます。

そうした背景から検査の機会を逸し、症状が出た頃には進行してしまっている方を多く見てきました。
胃・大腸がんを早期に発見するチャンスを逃していることが残念でなりません。

当院は安楽な内視鏡検査を提供し、患者さんが安心して検査を受けられるよう全スタッフで最大限配慮することを常に心がけております。
がんを早期の段階で見つける事、そのために苦しさと痛みに配慮した検査を行い、定期的に内視鏡検査を受けて頂くように努めることが内視鏡医の使命と考えております。

一人の医療人として、今まで身につけてきた知識と経験を生かし、最新の知識や技術を習得するための研鑽を惜しまず、皆様に還元していけるよう努力する所存です。 何卒よろしくお願いいたします。


経歴
CAREER

国立長崎大学医学部卒業。長崎大学病院、佐世保総合病院、医療法人白十字会白十字病院など多くの総合病院で多数の消化器内視鏡検査・治療を習得。
2024年4月より福岡天神内視鏡クリニック勤務。

2010年3月

国立長崎大学医学部卒業

2010年4月

長崎大学病院臨床研修医

2011年4月

佐世保総合病院臨床研修医

2012年4月

医療法人白十字会白十字病院

2022年4月

医療法人寛惠会がんこクリニック
ららぽーと福岡

2024年4月

医療法人ハートアンドオンリー
「福岡天神内視鏡クリニック」副院長

専門領域

  • 消化器内視鏡診断・治療
  • 消化器内科

臨床資格

  • 日本内科学会認定医
  • 日本消化器内視鏡学会専門医


私の生い立ち
MY UPBRINGING

幼少期

幼少期 私は佐賀市内で生まれ育ち、妹2人を引き連れて近所の友達と遊ぶのが好きな少年時代でした。ある時、医師の存在を意識させられる出来事がありました。4歳下の妹が急性虫垂炎で入院した時です。翌日の手術を前に不安と緊張で泣いている妹のところへ医師が来て頭を撫でなぐさめると、こわばっていた表情が柔らかくなり笑顔もこぼれるようになりました。その場にいた家族は安堵し、重苦しい空気感が軽くなった印象的な出来事でした。

中高生時代

中高生時代 地元の公立中学へ進学し、学業では2年時の英語のテストで要領をつかんだのをきっかけに勉強が楽しくなりました。走ることが好きで陸上部に入りましたが、冬のマラソンは人生の教訓を得る時間になりました。練習中、ペースが落ちてくると顧問から「まだまだ行けるぞ!まだ限界じゃない、限界は自分自身でつくるものだ!」と鼓舞され、きつくて心臓が張り裂けそうでやめたい、楽になりたいという気持ちにムチ打ちながら、あと一歩あと十歩と走り切る毎日でした。いま振り返ると、あの顧問の言葉は私の大学浪人時代の心を支えてくれた教えの一つになりました。

中学時代にも医師を意識させられる出来事がありました。自宅で父が呼吸困難に陥り、悶え苦しみ倒れたのです。母が救急要請をする傍らで13歳の私は何もできず、恐怖の中でただただ父の背中をさすりながら、大切な人を失ってしまうかもしれない怖さと何もできない悔しさなどの感情が交錯し涙が溢れていました。救急病院へ行き、不安な気持ちで待っていると処置後の父がさっきまでの姿が嘘のように自分で歩いて出てきました。医師の「もう大丈夫ですよ。お家に帰れますよ。」という一言で家族みんなの緊張がほぐれ、どれほど安堵したことか、あの時の感情は今も忘れられません。

中高生時代

こうした小中学時代の命に関わる原体験や、医師との関わりの中で癒された感情体験を通して、気づいた時には医師という存在に魅了され、憧れの存在になりました。 進学した高校は学業中心で朝から夜まで勉強漬けの日々でした。体育祭や文化祭、修学旅行などのイベントはなく、大学合格という目標に向かって友人たちと切磋琢磨したことがよい思い出です。2年時の進路相談で初めて医学部志望を打ち明けましたが、当時の成績では夢物語で担任には失笑され、親には反対されました。しかし、将来の自分の姿をイメージした時、患者さんの身体的・精神的苦痛を和らげるのみならず、周りの家族をも癒せる存在である医師になりたいという思いは強く、医師への道を期した瞬間でした。現役では不合格となり、浪人生活が始まりました。

浪人時代

浪人時代 家族の協力もあり、一年目は予備校の寮に入りました。精一杯努力しましたが、医学部合格がいかに手の届かないものであるか厳しい現実を突きつけられた一年でした。二年目以降はこれ以上両親に負担をかけるわけにいかずバイトを掛け持ちして生計を立て、一人暮らしを始めました。生活のためのバイトと勉強の両立は難しく、勉強時間が確保できない時期もあり、なかなか芽が出ませんでした。早朝からの新聞配達や昼間のレストランの厨房や喫茶店、夜の飲み屋や工事現場などいくつものバイトを経験しました。多種多様な人たちと関わる中で最も人間力が養われた貴重な時間であり、今では医師になって様々な患者さんと接する際の大きな武器として支えてくれていると自負しています。浪人五年目にもなると私の将来を危惧する親戚や友人から諦めるように促されたり、応援してくれていた人たちが離れたり、少しずつ孤独感は増しましたが、やめようという気持ちは微塵もありませんでした。毎年少しずつ成績が伸びていったため、やめ時がわかりませんでした。あと少し、あと一年で手が届くのではないか、一歩ずつ、一歩ずつ、まさにマラソンを走り切ろうとしている感覚でした。

大学・研修医時代

大学・研修医時代 大学ではこれ以上の回り道はできない強い気持ちで学業に取り組み、膨大な暗記量に辟易しながらも、浪人時代に培ったコツコツ努力する力や諦めない気持ちで乗り切り、また医学を学べる嬉しさも感じながらストレートで卒業でき、晴れて医師となりました。

長崎大学病院、佐世保総合病院での臨床研修を経て、消化管内視鏡に興味をもったのは小学生の時に読んだ本の影響が大きかった気がします。様々なミクロの世界を船で冒険する物語で、ヒトの口から侵入し体の中を冒険する内容に魅了され、人体の神秘のようなものを感じるとともに自分の体なのに知らないことが多すぎることに興味をもちました。 そして、研修医の時に初めて手にした内視鏡が、まさに自分の手であの世界を追体験できるツールであることに感動し、内視鏡の面白さにはまりました。

大学・研修医時代


内視鏡を専門に
SPECIALIZING IN ENDOSCOPY

臨床研修終了後は福岡の総合病院で10年ほど消化管内視鏡技術を磨きました。内視鏡検査や治療、夜間の救急処置など、修練を積めば積むほど上達するのが実感でき、忙しくも楽しい充実した日々でした。患者さんから「こんなに楽なカメラは初めて」「がんを見つけてくれてありがとう」「助けてくれてありがとう」など有難い言葉をいただくと、内視鏡医としてのやりがいを感じ、もっと内視鏡が上手になりたいと思いました。同時に自分の存在意義を感じ、大きな喜びを覚え、患者さんに生かされていると実感する瞬間でもありました。

その後、2年間のクリニック勤務を経て福岡天神内視鏡クリニックとのご縁がありました。理事長、院長のお人柄に惹かれ、「苦しさと痛みに配慮した内視鏡検査」を一人でも多くの患者さんに受けて頂きたい、福岡の、そして九州の内視鏡診療を変えたいという思いに共感を抱くとともに、もっと内視鏡をスキルアップしたいという思いもあり、お世話になることに決めました。

これから、内視鏡診療を通して皆さまの健康の一助となれるやり甲斐を原動力とし、邁進していきたいと思います。微力ながら少しでもお役に立てるよう、私に診てもらってよかったという方が一人でも増えますよう努めてまいります。どうぞよろしくお願いいたします。